長者・中根十三社 秋祭り

更新日:2021年03月10日

中根六社

 中根六社祭りは、東中滝神社、鶴沼神社(松堀)、熊野神社(部田)、四堰神社、中滝八幡神社、
押日八幡神社の六社で行われる祭礼である。
 古くから「お国自慢で見せたいものは、おおやのへいだと廻り松」といわれてきた。毎年9月25日
に開催される。昔は8月15日であったが、太陽暦に変わってから現在の月日に改められた。
 この祭礼は、明和年間(1764から1771)押日村の小高雅楽之介という人が縁故に基づき椎木村の大宮の古社玉前神社から古い神輿を貰い受け押日八幡神社に納めたのである。
 祭礼行事は「堰ぎつね」「祖宗講」「親の日だ」「廻り松」がある。
 堰ぎつねとは、親神八幡神社の南にある山王堰の提根と神輿が順々に駆ける行事である。

「祖宗講」は神輿をかつぎ進行中一同が声高らかに「祖宗講」「祖宗講」「御祖宗講」と歌うのであるが、現在は歌われない。
「親に日だ」は珍しくこの行事は上総の奇祭と云われている数人が肩と肩と手に手を取り合って組み合いながら輪を形作り、その肩の上にまた乗り重ねながら輪を組み、3層4層の櫓を築き一番上の者が日の丸の扇を開き椎木大宮神社に向かって、「おおやのへいだ」(親の日だ)とさけぶ、そのうちどっとくずれ落ちる。若い衆はまた立ち上がり、一斉に囃し立て、次の組が行うという妙技である。これを見た見物客は一斉に拍手がおこる。

神社で大勢の男性が組体操の3段ピラミッドを作り、最上段で扇子を持ち立っている写真

廻り松とは最後の行事である。
八幡神社の前方の田圃の中に「廻り松」と呼ばれる小丘があり、六社の神輿が順々に泥田の中を神輿を差し上げながら廻る。終了すると東中滝神社を先頭に鶴沼神社(松堀)熊野神社(部田)、四堰神社、中滝八幡神社、押日八幡神社の順で、東中滝神社で神事を行い、祭礼は終了する。
祭礼は、先人から今日まで伝えられてきている郷土の貴重な文化である。

天神社と長者・中根十三社秋祭りの由来

 いすみ市岬町の天神社は寛文元年(1661)8月、小沼の利左衛門屋敷内から旧長者宿の字横町に勧請された、菅原道真を祀る社である。後年、郷社に列せられる。
 当初は百八十戸の氏子にして崇敬されてきた。毎年3月と9月の例大祭にはあふれるばかりの人出で賑わいをみせた。
 戦前から昭和30年(1955)までは9月24日の宵宮と25・26日の本宮まつりであったが、現在は25日が例祭となっており、皇室の弥栄と五穀豊穣を感謝する祭りである。

4基の御神輿を大勢の男性で担ぎ、ヤッサヤッサと掛け声を掛け合い練り歩く写真

 神輿の行進(現在の祭り唄パレード)は、声高らかに一人が唄うと全員が「よいよい」と掛け声をつける。唄の詞の終わりに「ヤッサヤッサ」と節をつける。
 現在の十三社祭りは、昭和57年(1982)頃から長者小学校校庭に長者学区の各社神輿が参集し、山車を先頭に街中を天神社に向かって唄いながら整然と進んでいく。
 天神社に集結した神輿は神社境内を何周かしたあと中根六社の到着を待って高張り提灯に灯を入れ、大別れ会場に向かう。
 各社の神輿は「ヤッサヤッサ」とグラウンドを駆け廻ったり、御輿を上に投げ上げたりして、別れを惜しむ。
 照明に浮かぶ絢爛豪華な美しい御輿と若者の集団美を観衆は固唾を呑んで見つめている。花火を合図に大別れ式は佳境に入り、近隣から集まった大観衆の惜しみない拍手でこの行事の祭りはすべて終了し、各神社に帰り宮入となる。

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