大原はだか祭り

秋風がたち始めると、大原地区の人々の心は″はだか祭り″のことでいっぱいになります。
地域じゅうが一体となって盛り上がる伝統の秋まつり、″大原はだか祭り″は、例年9月下旬の2日間にわたって行われる雄壮な祭りです。
担ぎ手たちの情熱と優しさの両面を十分に感じることのできるこの祭りには熱心なファンも多く、毎年多くの観衆でにぎわいます。関東随一とも言われる、大原はだか祭り。強烈な感動が、心の中を駆けぬけていくようです。
開催情報
2024年の「大原はだか祭り」は終了しました。 たくさんの皆さまのご来場ありがとうございました。
開催に関する最新の情報は、いすみ市観光ポータルサイトをご確認ください。
祭りの見どころ
汐ふみ
祭りの初日に大原海水浴場で行われる「汐ふみ」では、五穀豊穣、大漁祈願を願い十数基の神輿が一斉に海へとかつぎこまれ、もみあいます。勇ましく、雄々しく、神輿は海の中を駆け巡り投げ上げられます。

大別れ式
2日間両日に催される「大別れ式」は、祭りのクライマックスです。
夕闇のせまる頃、木戸泉酒造前に参集した全ての神輿は、祭り唄とともに大原中央商店街通りをねり歩き、大原小学校の校庭へ向かいます。商店街通りの約1キロは人と神輿で埋まり、祭り一色になります。
大原小学校の校庭に入った神輿は、さながら競争の如く、力のかぎり校庭内を駆け巡り、高々と投げ上げられます。花火が秋の夜空を彩ると、神輿は寄り添い、担ぎ手は別れを惜しみ「若けもんども 別れがつらい 会うて別れがなけりゃよい」と唄います。

歴史とあゆみ
江戸時代
大原はだか祭りは、古く江戸時代から行われていたとされています。
このことは、大井区の瀧内神社に祭りの風景を措いた絵馬があり、その絵馬が文久4年(1864年)に奉納されたことや、別の絵馬に天保12年とあることから、160年前の天保年間にすでに、祭礼のしきたりや組織が出来あがっていたことがうかがわれます。
行事も十社まいりや浜での大漁祈願、汐ふみ、大別れ式と、華やかなものが行われていました。江戸時代の当地域はこれといった娯楽もなく、この祭りは住民が年一回の最大の楽しみとして受け継がれてきました。古老の言を借りれば、「何を質に入れても祭りの仕度を整えた」といわれています。
当時は仕事の忙しさから、とかくお互いの気持ちがばらばらになりがちであったため、地域の領主は唯一無二の娯楽である祭りが集団行動と意志の疎通を図ることができるという重要さを認め、神輿渡御が無事に終ったことを早飛脚で大多喜城主に報告せしめたとあります。
戦時中の逸話
当時の氏子総代が祭り騒ぎでもないとして警察に自粛を申し入れましたが、この祭りは他に比類ない勇壮な祭りであることから、地域住民の士気を鼓舞するによいことだから大いに活発な祭りを行うよう、署より申し渡されたと伝えられています。
祭りの期日
昔は8月13日から15日までとされていましたが、改暦により、明治6年からは9月23日から25日とされ、さらに大正2年より9月23日、24日の2日に渡って行われるようになりました。
現在では秋分の日である9月23日を目安に、2日間開催されています。
第28回国民体育大会
1973年(昭和48年)、千葉県で開催された国民体育大会(国体)の開会式アトラクションとして、本会場に神輿と担ぎ手が出場しました。これをきっかけに現在の「大原はだか祭り」へと呼び名がつき、近隣地域外からも脚光を浴びるようになりました。
その後も、全国豊かな海づくり大会での天皇皇后両陛下の御前での披露、全国スポーツ・レクリエーション祭への出場を機に、メディアにも多く取り上げられるようになり、全国的にその名を轟かせています。
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更新日:2025年02月12日