いすみ文化財散歩
高僧たちが往来し文化の礎を築いたいすみ
国の重要文化財4件、県指定21件を含むいすみ市の指定文化財は計224件(令和3年3月1日現在)です。
その内容、件数ともに県内屈指を誇りますが、とりわけ寺院と仏教信仰に関わる仏像、絵画、法具、建築に優れたものが少なくありません。
なかでも、行元寺、飯縄寺は平安時代に天台宗の基礎を築いた高僧、慈覚大師によって創建されたと伝えられる由緒ある古刹で、「波の伊八」こと武志伊八郎信由の彫刻をはじめ多くの文化財を所蔵しています。
ほかにも、鎌倉時代末から南北朝期にかけて活躍した禅僧で、後醍醐天皇や足利尊氏にも帰依した夢窓疎石が庵を結んだ退耕庵は現在太高寺となり、その裏手には疎石が坐禅を組んだという金毛窟が今も残されています。
このほか、大原漁港の近くには古くから漁師の信仰を集めてきた大聖寺の不動堂が、そのすぐそばの照願寺には親鸞の生涯を描いた「紙本著色親鸞聖人絵伝」が国の重要文化財となっています。
また、岬町鴨根には坂東三十三観音霊場の三十二番札所である清水寺があり、古くから多くの参拝者でにぎわっています。
波を彫っては天下一 波の伊八の匠にせまる
江戸時代後期に彫物師として活躍した通称「波の伊八」と呼ばれる武志家初代の武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし/1751~1824)は、現在の鴨川市打墨(うつつみ)で生まれました。
伊八は、左甚五郎(ひだりじんごろう)の流れを組むとされる島村流の島村丈右衛門(しまむらじょううえもん)の弟子となり腕をみがき、50年あまりに及ぶ創作活動のうち、千葉県をはじめ東京都や神奈川県など南関東を中心に50点あまりの作品を残しています。
伊八の名がはじめて歴史に登場するのは19歳のときで、鴨川市鏡忍寺(きょうにんじ)に伝わる棟札(むなふだ)によると、明和7年(1770年)9月に上棟した、同寺の祖師堂彫刻制作に携わったと考えられます。
彼は、「関東に行ったら波を彫るな」と、関西の彫物師に言われたと伝えられるほどの名工でした。その名のとおり、ほとんどの彫刻作品には大小にかかわらず波を彫っています。
市内にも行元寺の旧書院欄間(らんま)彫刻「波と宝珠(ほうじゅ)」や飯縄寺(いづなでら)本堂欄間彫刻「牛若丸と大天狗の図」をはじめとして、傑作が多く残されており、そのほとんどが円熟期のものです。
武志家はその後5代続き、それぞれ作品を残しています。
初代伊八 市内作品年表
寛政元年(1789)/38歳
長福寺(下布施)の欄間彫刻、須弥壇彫刻
寛政4年(1792)/41歳
光福寺(大野)の祖師堂彫刻(向拝、蟇又、欄間など)
寛政8年(1796)/45歳
飯縄寺(和泉)本堂の彫刻(向拝、欄間など)
文化6年(1809)/58歳
行元寺(荻原)旧書院欄間彫刻
文政7年(1824)/73歳
熊野神社(岬町中滝)神輿彫刻
クリックすると各ページへジャンプします
この記事に関するお問い合わせ先
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2021年03月25日